多様性を認めると言う言葉はどこか矛盾をもっちゃいないかい。
暴力ではなく言論による争いが最近はよく目にする。xとかで。それはそれは小さい世界に生きている僕だから小さい出来事にしか目がいかないのだろう。ジェンダーも動物愛護も宗教もどこまで他人をコントロールしたいのだろう。宗教は人を正しい道に導くすべなのでは?暴力から少し知恵を得た人類がたどり着いた先は言葉による暴力で、その辺は何も変わらないのだろうな。街はみるみる近代化を遂げるなか、僕たちは急激には成長できなくて、こう言う悩みは紀元前からずっとあったのだと思う。遠い観測者からみたら数百年ごときでは進化論なんてものは無意味だ。
何も理解されなくて良い。なにも理解しなくて良い。本当にただそこにあるだけの存在。それだけで争いも少しは減るのだと思う。わかり合おうとする努力は大事だけどね。傷つけあうほどするなよ、とおもう。
ラブアンドピースって言葉の素晴らしさはその抽象的なとこにある。なにが愛で、なにが平和なのか定義していないからこそ万人に受けるのだ。
ただそこにいるだけのあなたへ。最後まで読んでくれてありがとう。(^з^)-☆っ!