クレヨンしんちゃんが僕にとってのヒーローだ

クレヨンしんちゃんの映画を見ると必ず泣くのはなぜだろう
なにが僕の心をそんなにも刺激するのか

真っ先に考えるのは
しんちゃんがいつだってまっすぐなこと
好きなものは好きだし
自分の正義には忠実である

友達や家族のためなら自己犠牲をいとわない
まさにヒーローのような立ち振る舞い


それは僕が忘れてきた
というよりかは
大人になるにつれて
自分を守るために切り捨ててきた部分なのではないか

自分だけを守る損得勘定が多くなってきて
自分の心に嘘をつくことも多くなってきた
言いたいことも言えないことが多くなってきた

あえて言うなら汚れてしまった自分
そんな自分との対比に涙がでるのかもしれない

もうひとつ、それこそ大人視点で考えてみると

泣かなければならないと思ってはいないか
義務感というか
しんちゃんの映画=なけるものとして
神格化し、いつまでも好きで入れるように
観終わったときにやっぱりしんちゃんの映画は最高だなと思えるように

無理して泣いているわけではない
胸の奥底からこみあげてくるのだ

だけどそれが無意識的に
たとえばパブロフの犬のように
もしかしたら自分のしらないところに
インプットされているのかもしれない


あとは、
普通に制作が作ったお涙頂戴ポイントに
年おいて涙腺が緩くなった僕が
まんまと泣いているだけってパターンが一番濃厚だろうか